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 ――私は今、レイプされている。
 

 何時もの帰り道、丁度一個しかない外灯が壊れている公園の前に差し掛かった際、茂みの中から飛び出してきた両腕に私は捉えられた。
 じたばたと抵抗するものの、男の腕力に適う筈もなく茂みの奥へと引き摺り込まれ、少しくたびれたワイシャツをびりびりに破かれては胸を鷲づかみにされた。
 強引過ぎる愛撫の最中、片方の腕で私のショーツを剥ぎ取りに来る。 偶然、少し気に入っている物を穿いていたので破られては嫌だと思い、抵抗を抑えたにも関わらず妙に手間取っていたのが滑稽に感じた。
 そして、現在に至る。

「はあ、はあ」

 フルマスク越しからでも解る男の荒い息遣い、それだけがこのシチュエーションのBGMで、お世辞にも心地よいものとは言えない。
 勿論されている行為自体が不快だ、まるで準備されてない状態で性交渉を行われても、痛いだけで微塵も気持ち良いとは思えない。
 尤もあっちにしてみれば私がどう思っていようが関係ないのだろうけど。 寧ろこの場合、演技でも嫌がった方があっちとしては燃えるのだろうか。
 何にせよ、こんな状況下に置かれているにも関わらず異様なほど冷静な私の頭、どちらかと言えばこの状況よりも、自分が貞淑とは程遠い精神構造をしている事実に嫌気が差していた。

「うっ……!」

 不快な時間はそれ程長く続かなかった、尤も最後、中に出されてしまった事は何よりの不快ではあったのだけれど。
 終わってみればこの男、さっきまでとは別人のように小さく見えた。
 小さく背を丸くさせ、なんだか申し訳無さそうにフルマスク越しから私を覗いている、結局の所レイプ犯だろうが何だろうが、終わってしまえば只の男なのだなと思えた。
 下手に気を荒立てては命にさえ関わるかと思い、されている最中ずっと黙りこくっていた私だったが、そんな情けない様のレイプ犯を見兼ねて、一言だけ告げた。

「あんた、セックス下手糞だね」

 勿論、多少なりとも悪意を込めた一言だった、された事を思えばこんな一言可愛い過ぎるものだろう。
 だけどその男はその一言を受けた途端俯き、まるで逃げ去るかの如く早足でこの場を去っていった。
 自分は犯罪者の癖に、こんな他愛ない一言で傷付いたのだろうか。

 一人きりとなった夜の公園の茂みの中、考える。
 一方は犯罪級の悪意を受け止めたにも関わらず、服を破かれたり実害はあったものの、本人が受けた傷は不快であったという程度だった。
 もう一方は言語だけの悪意、ちょっと人生歩んでればすぐにでも突き当たる程度の、そんなちっぽけな悪意に傷ついた。
 多分私とあの男が受けた傷を比べてみても、私の負った傷の方が浅い、受けた悪意は私の方が遥かに多大なのに。 なんだかそう考えると人間の叫ぶ平等なんてものは、永遠に達成されないのだろうなと思う。

 悪意に対価なんてものがあるかどうかは解らないけど、悪と付くだけあってそれは実に歪で禍々しく、不平等だ。
 己の歩んできた道によってその対価は大きく変動する、私のような世間に擦れ切った女なら、何をされた所でどうって事ないのかもしれないけど、さっきのレイプ犯のような繊細な心の持ち主にとってはほんの少しの悪意でさえも劇薬になってしまうのだろう。
 日常生活で何気ない劇薬を飲まされ続ければ、積もり積もっていずれ爆発する、その対象がたまたま私だったというだけの話。
 こちらとしては迷惑以外の何物でもなかったのだが、それにしても実に憐れで、やるせない。 犯罪級の悪意にさえ傷付かなくなってしまった私も含めて、やるせない。

 仮に悪意の対価が普遍的で一定しているのであれば、世界も平和になるだろうにと、そんな風に思った夏の夜の公園だった。
 

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