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「なーなー知ってるか? アイツさ……」
「ちょ、マジで!?」

 退屈な授業も終わり、うつ伏せて乱れた髪を整えながらのろのろと帰り支度をし始めた時だった。
 耳に覚えたのは男子達のぼそぼそとした会話、ちらちらとこちらを覗う視線が痛く、鞄の中に教科書を仕舞おうとしていた腕がぴたりと止まってしまった。

「ホントかよ? 嘘じゃねーだろうな?」
「しっ、声大きい。 結構噂になってんだぜ、あいつが『公衆便所』って事」
「マジかよ、知らなかったー!」
「だから声大きいって」

 いやらしい笑みを浮かべながらの噂話、どうせあいつらの脳内で私は良い様に犯されているのだろう。
 ふっ、と短い溜息を付き、聞いてないふりを装うのに精一杯だ、噂話をするのなら当人の聞こえないところですればいいのに、馬鹿な男達だ。

「言えばさー、誰でもヤラせんかな?」
「さあ? お前一回頼んでみろよ」
「ヤ、ヤだよ、便所の相手なんかしたくねぇし」

 こっちだってお前なんかの相手は願い下げだ、尤も、口先だけそう言ってるのだろうけど。
 実際肌が重なり合えばそこいらの男と同じよう夢中で私の体にしがみ付くのだろうに、聞いて呆れる。

「しかし、あいつが『公衆便所』かー……」
「びびるよな、クラス内に『公衆便所』が居るなんてさ」 
「ああ、びびるわ」

 『公衆便所』――好きなように人の事を例えやがって。
 尤も、そう例えられても仕方ない事を私は現にしている、学校と言う狭い世界では噂になるのも仕方がないのだろう。
 毎日のように男をとっかえひっかえ、頼まれれば誰とでもセックスするような女。
 今日もまた、噂を聞きつけた男子にせがまれるのだろう、そして、それを拒否もせず受け入れるのだろう――。 


「――んん……、はぁあ……」

 放課後の体育倉庫はまず人が来ない、運動部があまり活発でない私の学校が特別なのかもしれないが。
 学校で睦み合うのは決まってこの場所、多少石灰の匂いが気になるけれど、それももう馴れた。

「っ……はぁ、はぁぁ……」
「す、すげえっ……おっぱいって、すげえ揺れるんだな。 たゆんたゆんしてるぜ!」

 私の人より大きな胸に夢中になってるこの男――さっき噂話してた男子の片割れだ。
 口では相手したくないなんて言ってたのに、案の定それは裏腹で事実こうして私なんかを求めて来た。
 
「はぁっ……はぁっ……」
「な、なあ今までどんくらいちんこ咥えて来たんだよ?」

 そんな男の嫌味も無視し、ただただ行為に没頭する。
 無視された男は居心地悪そうにそっぽを向くけど、こんな男の機嫌なんて私にとってはどうでも良い事だ。
 馬乗りになり男の腰に両手を付いては、小刻みに震え始める腹斜筋を楽しむ。
 ああ、この男ももうすぐ絶頂なんだな、と思うとどんな男も可愛く見えるのが不思議だ。

「だ、出すよっ……! うっ……!!」

 絶頂を迎える瞬間の情けない顔も、私は嫌いじゃなかった。


 ――行為を終えた後の帰り道は、何時も物思いに耽る。
 なんで私はこんな無節操な毎日を繰り返しているのだろうと自己批判する時もあれば、帰路の末誰も待っていてはくれない自宅に付いた時の憂鬱を考えては、虚ろに溜息付きながらとぼとぼ歩いたり。 少なくとも、良いイメージは頭に浮かんでこない。
 特に今日は噂話の件もあり、何時もより酷い自己批判、なんで自分がこんな風になってしまったのか、どっぷり暗くなった空の下で、自分自身に言い訳し続けていた。

 一人ぼっちは寂しい、だけど束縛し合う関係も、耐えられないから。
 無責任なその場限りの関係、その場限りの人肌の温もりが恋しいから。

 どれもしっくり来ない、ただただぽっかり空いた胸の空洞だけが、俯き歩く私の中で確かに存在している。
 所詮見境無く淫乱なだけの女、傍から見ればそうだろうし、事実私はそんな女だ、どんな言い訳をしようとそれは覆せない。
 『公衆便所』――男子達が放ったこの言葉が、未だ私の耳元を擽(くすぐ)り続けていた。


「――ただいま」
「おかえり」

 玄関を開けた途端、私はぎょっとした。
 返ってくる筈の無い返事、既に煌々と灯り点る家の中。
 予想だにしなかった光景に、私は靴を揃える事も忘れていた。
 何時も私一人を家に残して何処ぞに飛び回ってる父――その姿が居間のソファの上にあった。
 
「……帰って、きてたんだ……」
「ん」

 素っ気無い返事、素っ気無い素振り。 何ヶ月ぶりかの再会なのに、私の方をてんで見ようともしない。
 数年前母が他界してからずっと二人ぼっちで家を守ってると言うのに、会話も顔を合わす機会もまるで増えてない。
 仕事が忙しいのは解っているし、母が他界する前から、こんな性分なのは解っていたし。
 でもそれでも、胸に込み上げてくる切ない気持ちは何なのだろう、妙な居心地の悪さは何なのだろう。

「きょ、今日はたまたま遅くなっちゃってさ、委員会あって」
「……」
「委員会の後、友達とファミレス行って……それで、盛り上がっちゃって、こんな時間になっちゃって……」
「……」

 聞かれてもいない事をしどろもどろに嘘付いてまで話し始めたのは何故なんだろう。
 物凄く愚かしい事をしている自分が痛いほど解る、だけど要らぬ言い訳を途切れさせる事は出来なかった。

「でね、やっぱり私まだ学生だし、いくら付き合いのせいだって言っても……」
「……」
「こんな遅く帰ってくるのはいけないと思うんだ……ごめんなさい……」
「……」

 怒られたら怖いだとかそういった感情はまるで無いのに、酷く遜(へりくだ)った、卑屈とも言える私の態度。
 自分でも何故こんな態度を取ったのか解らなかった、『公衆便所』である自分への後ろめたさがそうさせたのだろうか。
 私が全ての言葉を吐き出した後、徐に、さっきから黙って聞くだけだった父がソファから立ち上がった。 

「何をしようがどうしようが、自分の勝手だろう。 父さんは何も言わないから自由に生きなさい」

 そう言い残し颯爽と自分の寝室に戻っていく父の横顔は、酷く面倒くさそうに見えた。
 この人には娘が心配だとか、気掛かりだとかそう言った感情は全く持ち合わせてないのだろうか。
  
 酷い言葉をぶつけられた訳じゃない、暴力を受けた訳じゃない、でも、悲しかった。 酷く悲しかった。
 言葉にすれば放任主義というだけなのかもしれないけれど、だとしてもあまりに無責任で、親としてあまりにも冷たい。
 あなたの娘は『公衆便所』なのよ、行きずりの男にすぐ体を許すような娘になってしまったのよと、声にならない叫びを上げても、それでも父は無関心を貫くのだろうか。
 
 所詮私は『公衆便所』、手入れも行き届いてない、人々の無関心に晒された汚らしい『公衆便所』。
 何時しかソファの上ですんすんと泣き崩れていた私だった――。
 


 
 きょにゅうちゃんとようじょちゃん

 

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