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序章:漫画、打ち切られちゃいました

 

『えー……と言う事で、今までお疲れさまでした、森本先生』
「はあ」

 今を時めく新都社の王道週刊少年誌「週刊VIP」編集者、担当小谷野氏からの無情なる連載打ち切り通告を受けてからの私は近所の島忠で売っていた長時間座ってても大丈夫!と言うスグレモノの椅子に明日のジョーのラストシーンが如くの姿勢で呆然と腰掛けていた。
 「燃え尽きたよ……真っ白な灰にな」そんなナレーションが頭を過ぎると同時にこれからどうしよう、これからどうやって食い扶持を探そう、とりあえず新都社燃やしとく? と言った現実的な問題に頭を抱え、克つお腹も減ってきたので軽やかなステップで台所に積み上げてあるカップ焼そば博多の塩で百パーセント構成された塔の頂上を手に取り、カリカリと周りのビニールを取り外そうとしていた。
 カップ焼そばの周辺のビニールというのは、なんでこんなにもしつこく取り外し辛いのだろう、カリカリカリカリお前は加藤鷹か? みたいな超高速フィンガーテクをもってしてもなかなかビニールを削り取る事が出来ない。

「仕方がない」

 そんな別に寂しくも何とも無いけどとりあえずあくまでその場のノリとして独り言を呟いてはトレース台に置きっ放しだったGペンでブスリとビニール袋を突き破り、まず手始めに麺を取り出してからかやくをカップの底に入れた上で麺を再度セットしお湯を注いだ、これで約三分後に私は晴れて博多の塩の美味をその自らの口で存分に噛み締める事が出来るようになるだろう。
 待ち時間の三分というのはとても長い、幼い頃見た聖闘士聖矢のアニメ十二宮編並に時間の流れが遅く感じる。
 こういう手持ち無沙汰の時間は皆それぞれどんな風に消費していくのだろう、と思いを過ぎらせようとしたが別に皆それぞれ適当に時間潰すよね、と思ったので取り敢えずこの時間を使って私の自己紹介をさせて貰おうと思い立った。
 誰に? と言うのはナンセンスな質問である。

 私は今を時めく新世代感覚天才ギャグ漫画作家、森本ヒトリと言うものだ。 本名は木村さやかと言うのだけれどそれはすぐさま忘れて欲しい。
 年齢は非公表だけれどぶっちゃけちゃえば二十六歳、両親からの「彼氏いないの?」攻勢も次第に何かを悟ったのか日に日に衰えていっている。
 別に私はブスではない、純粋に顔立ちだけで言えばもしかしたら結構可愛い部類に入るのかもしれない、いや勿論人の好みなんてそれぞれだし、人によっては別に可愛くも何ともないかもしれないけど、いや、でも多分私がもっと化粧とかファッションを頑張れば、振り返る男性だって月に二、三回は居るだろう、いや月二、三回って少ないじゃんと思う人も居るだろうけど職業漫画家の外出の少なさを舐めちゃいけない。
 「結婚してくれ!」と言ってくれる男性だって居る、愛してますと書いた手紙を月に三十通送ってきてくれる男性だって居る、勿論両者とも私の顔も人格も知らない熱狂的なファンだけれども。
 ああなんだか言ってて悲しくなってきた、悲しくなってきたけど、いい加減三分経ってくれた、私の悲しみは全て博多の塩が慰めてくれる。 ラブユー。
 
 ずぞぞぞ〜ずぞぞ〜と麺を食道に流し込みながらこれからどうしようかな〜と漠然と自分の未来を考える。
 くっちゃくっちゃと音を立てつつとりあえず連載の残り八、九、十話をどんな話にしようかなと考える。
 ぐにゅぐにゅと塩の付き方の甘い部分があったので全体的に塗しつつなんだか考えるの面倒くさくなってきたなと考える。
 つるんと最後の一本を胃の中に収め「オチは全話うんこでいいや!」と思い立って再び漫画机に向かう私。

 思えばこれが初めての連載だった、三度の読み切りを乗り越えて手に入れた初の連載、当初はやる気に満ち溢れていた、ヒットすればアシ任せにして楽して金が入ってウハウハ出来ると思ってた。
 だけど現実は厳しかった。 十週打ち切りだった。 単行本一冊分しか出来なかった。 ネットでも「これは酷い」の嵐だった。
 担当の残酷な一言によって自尊心をズタズタにされた私、現実に打ちひしがれ至らない気持ちで一杯の惨めな私、口の奥から鼻の辺りをうろうろしている焼きそば麺、ケント紙いっぱいを占めるうんこの絵。
 どれもこれも私を苦しめる、この十数年間、漫画と向き合ってきた中で今が一番苦しい状況なのかもしれない、只でさえ孤独な漫画との戦いの中で、更なる苦痛を乗り越えて、果たして私はこの漫画道を極めんが為に突き進むことが出来るのであろうか。
 否、出来る。
 今の私はふつふつと滾る血潮に揺り動かされ、幾らでも漫画を描けそうな気がしていた、打ち切りとは決まったものの、斬新な発想と類稀な展開をその胸に秘め、幾らでもうんこを描けそうな気分になっていた。
 あらゆる雑念を遠ざけ、まさしく没頭しそれのみに取り組む漫画マシーン。
 ここまでテンションが上がったのも初めての事だった、もしかしたら打ち切りと言う目も覆いたくなるような逆境が私の精神状態に大きく作用したのかもしれない。
 何にせよ、今の私を誰であろうが止められないと思っていた、誰にも私の邁進を止めようが無いと思っていた、そんな時だった。
 ぶむーんぶむーんと、私の携帯電話に着信があった。

「はいもしもし?」
『さやか? 久々〜、私、ゆみこ!』
「あ〜久々〜! どうしたの?」
『今日ちょっと暇になっちゃったから、これから飲みに行かない?』
「きゃ〜行く行く!」

 私はGペンをほっぽり投げ、来てたスウェットを脱ぎ捨てていそいそと洋服ダンスの扉を開けに行った。  

 

 

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