一章:イケメンに会っちゃいました
「え〜? 漫画終わらせられちゃうの!?」
「うん、アンケでずっとダントツの一位だったし。 下からね?」
トーンの切れ端だのインク染みだのですっかり華やかになった擦り切れスウェットを脱ぎ捨てて出てきた先は駅前の和民だった。
頼んだザクロサワーをぐびぐび飲んで友人、稲葉ゆみこにあまり芳しくない近況を報告する、ゆみこの方は血色良い顔に柔和な表情を浮かべてて、悩みや挫折って何処の国の話? と言った感じのオーラを醸し出してる。 ファック。
「そうなんだ〜、大変だね、私も最近彼と上手くいってなくて〜」
「あっそ死ね」
なんでこう女と言うのは仕事の話と恋愛の話を対等なレベルで考えるのか、いや私も生理学上女に分類されるのだけど。
特にゆみこはそのモテ顔をもってして男共にちやほやされ、奢られ、貢がれ、送り迎えされ、守られ、捨てられてもすぐどっかの誰かに拾われると言った実に羨ま……甘やかされた境遇に置かれ続けただけに脳内構造が限りなく可哀想な状態に陥っている。
どうせ会社でも「課長〜、すみませんこの仕事出来ませ〜ん」なんて猫撫で声を上げては免責されてるのだろう、畜生今すぐババアになって昨今の年金受給問題に頭を抱えろってんだ。
尤も、なんでこんな文句たらたらなのにこのメス豚と付き合ってやってるのかと言えば……うん、なんだっけ。
「やだ〜、相変わらずさやかって面白〜い!」
ああそうだ、本当昔から彼女は限りなく可哀想な脳内構造をしているからだ、私の心の底からの暴言もケラケラと笑い飛ばせるニュータイプの人種だからだ。
だいたいの所、私にとって学生時代からの友人は本当数える程で、数える程と言うか、ゆみこ一人きりなのだけど、だからこそ、こんな女でも私にとっては大事な訳で、こいつが居なかったら九年間私は一人ぼっちな訳で、はあ、なんだかそう考えると死にたくなってきた。 はあ。
「それでね〜さやか……」
鬱になった私は早くも聞き流しモードに入ってゆみこの話にうんうん頷くだけになった。
大抵ゆみこと会う時はこのモードに入るのだが、今日は何時もより十分二十三秒程早い、ような気がする。
私はサイコロステーキの器に残った大根おろしを肴にザクロサワーを飲み干しつつ、残りのミッション連載の八、九、十話をどんな話にするかを考え出した。
文化祭でバンドをやる話にしてお気に入りの曲の歌詞をフルで漫画に掲載してやろうかとか、寧ろ自作の歌詞を乗っけていずれドラマCD化した時に印税ウハウハ貰える伏線を張っておこうかなどと、色とりどりの斬新なアイデアを思い浮かべるがどうせ打ち切りだし私は考えるのをやめた。
「ちょっとねえ、聞いてるのさやか?」
「あああなになにゆみこ?」
聞き流しモードの度が過ぎたのか、鈍い頭のゆみこにさえ勘付かれてしまって突如の返答が宙返りしてしまった私。
聞き流すのは対ゆみこ戦線において最も有効な手段なのだが勘付かれれば途端形勢が不利になる、何せ話を全く聞いていないのだから。
「もおっ、ちゃんと聞いててよね?」
「ああごめんごめん、ちゃんと聞くから」
女というのは話を聞いてくれない事が一番のストレスになる、何時ものアホみたいに幸せそうなゆみこの背後にほんのり般若の面が浮かんでいる。
そんな背景効果を目の当たりにすればいくら豪傑無双の私でさえもとことん平謝りするしかない。
畜生、この私が頭を下げる事になるなんて、私は担当と編集長となんとか単位を与えてくれた吉井教授くらいにしか頭を下げた事がないんだぞ。
私が誠心誠意頭を下げていると言うのに、冷酷無比なゆみこはその怒りを収めてはくれない。
「もう一度言うからちゃんと聞いてよね? 弟が今からこっち来るけど、いいよね?」
「あ、うん、はい」
キレ気味のゆみこに気圧されて即答で生返事する私、直後「え?」と思ったが聞き返せるような雰囲気ではなかった。
くそう、重度の人見知りの私の前に全く面識ない人間を送り込むなんて、とんだサディストだこの女。
私が了承すればこのサディスト、再び何時ものパー女の顔を取り戻す。
「キャー良かった、うちの弟漫画好きだから喜ぶわー」なんてはしゃいでるけど、私の方としては気が気じゃなかった。
この多重人格者の弟とやらが来るまで刻一刻と迫ってくる、せめて心の準備だけでもしたいのだが、必殺聞き流しモードが封印されている今、ゆみこの話を聞きつつ考えるなんて出来る筈もない。
しかもこういう時に限って私にとってまるで興味ない話を次々と振ってきやがる、畜生、彼氏居た事ない私に恋愛相談持ちかけてくるなっつーの!
「あ、来た来た! おーいここここ!」
遂に時が来てしまった、どんな事を話せばいいんだ、江戸末期の話をされても私の知識じゃ安政の大獄によって歴史的背景がどのように移り変わったかくらいしか語れないぞ。
すっかりパニック状態に陥った私、しかしそれでも弟さんを無視出来る程のアバンギャル度は持ち得ておらず、びくびく小動物のように振り返る。
「おー姉貴、久々ー」
そこにはゆみこのモテ顔まんま移したようなイケメンが立ち尽くしていた。
あまりにそっくりだったので、なんだかとてもきもかった。