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一つ前へ

 

おねいさんのきおく2


「ちょっとパパ、どういう事? 『暫く預かっててくれ』だなんて」
『悪いとは思うんだが、他にアテがなくてね。 彼女もちょっと疲れてるんだよ』
「疲れてるって……母親なんでしょ? 完全に育児放棄じゃない?」
『あー……まあとにかく、その子のお母さんとこれから旅行に行ってくるから、また帰ってきたら話そう』
「ちょ……パパ!」

 薄暗い部屋の中、通話の切れた携帯電話ををただただ呆然と見詰める私。
 こんな風にパパと言い合ったのは何時くらいぶりだろうか、もしかしたら物心付いて以来初めての事なのかもしれない。
 実の親が、子育てを放棄する――私も半ばそんな環境で育ったけれど、まさか腹を痛めて生んだ母親までもが我が子を見捨てるなんて。 そんな事、ワイドショーやドラマだけの話にしておいて欲しかった。
 何にしても、強引に押し付けられて釈然とする筈も無い心情、あまりに無責任な二人への憤りで澱みきった胸のもやもやをどうすれば晴らす事が出来るだろう、私は感情のまま近くに置いてあった四角いクッションにそれをぶつける事にした。

「もぉっ、どうすればいいのよ!」

 ぽすん、っと壁際を滑り落ちるクッションに合わせるようへなへなと座り込む私。
 途方に暮れる私のすぐ傍らでは、私と同じ無責任の「被害者」が未だすやすやと寝息を立てている。
 
「……」

 この何も知らない女の子と、これから一体どのように向き合っていけばいいと言うのだろうか。
 子育ては勿論の事、幾つも離れた年下と関わり合った記憶もない。
 経験も知識も何も無い私が、この子に一体何を与えられるというのだろう、せいぜい嫌いではない手料理でお腹を膨らませてあげる事しか、私には出来ない。
 何より、私一人の時間というのはどうなってしまうのだろう、私だってまだまだしたい事が沢山あるし、それら全てを捨てる事なんて出来るはずもない。 
 考えれば考える程両肩が重くなる、あまりにも重過ぎる責任と、有無を問わず制限してくるであろう自由への鎖が、私の体を雁字搦めに締め付けては押し潰す。

 いっそ逃げ出してしまおうか、児童相談所にでも駆け込んでこの子の面倒を変わりに見て貰おうかなどと心の中で画策している時。
 まどろんでいる筈の頬に、何かがつうっと通り過ぎていった。

「いかないで……まま……」

 同じ、無責任の「被害者」――。
 私も憐れかもしれないけれど、選択権のないこの子の方がもっと、憐れなのだ。 夢の中で去り行く母を追う事くらいしか、出来ないのだ。
 むにゃむにゃと何も知らぬまま瞼を擦る小さな拳が愛くるしく、そして切ない。 その仕草も去ろうとする私の足を留まらせた。
 未だ気持ちが固まらず、半ば自棄的ではあったものの、結局そのまま目が覚めるまでその場を離れられずじまいの私だった――。


「――ねえねえ」
「ん?」
「なんでおねいちゃんは、おっぱいおおきいの?」
「んー、それはね……」

 

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